フレームシフト

 ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)」からの抜粋。

 1961年、ケンブリッジ大学でブレナーとクリックは、暗号がトリプレットであることを示す決定的な実験を行った。彼らは、突然変異を引き起こす化学物質を巧みに使い、DNA塩基対を取り外したり付け加えたりすることに成功した。そして、塩基対をひとつ取り去ったり付け加えたりすると、有害な「フレームシフト(暗号を読み取る際の枠の移動)」が起こることを発見したのである。これは、突然変異が起こった位置から先、暗号が乱れてしまうことだ。
 たとえば、JIM ATE THE FACT CAT(ジムはその太った猫を食べた)という三文字単語からなる文字列を考えてみよう。最初の「T」を取り去り、しかも三文字ずつの構成を維持すれば、この文字列は JIM ATE HEF ATC AT となり、文字を取り去ったところから先は意味をなさなくなる。塩基対をふたつ取り去ったり挿入したりした場合にも同じことが起こる。最初の「T」と「E」を取り去ると、文字列は JIM ATH EFA TCA T と、されに意味不明になる。
 では三文字を取り去る(あるいは挿入する)とどうなるだろうか?最初の「A」「T」「E」を取ると、文字列は JIM THE FAT CAT となる。ATEというひとつの「単語」は失われたが、それでも残りの文字列は意味をなす。たとえ複数の単語にまたがって文字を取り去った場合でも−たとえば最初の「T」と「E」とふたつめの「T」を取った場合でも−おかしくなるのはそのふたつの単語だけで、 JIM AHE FAT CAT というように、それ以降の文字列は前と同じである。
 DNA配列でもこれと同じことが言える。塩基対ひとつを取り去ったり挿入したりすると、フレームシフトが起こり、そこから先のアミノ酸がすべて変わってしまい、タンパク質はめちゃくちゃになる。ふたつの塩基対を換えても同じことだ。しかしDNA分子上に並んだ三つの塩基対を取り去ったり挿入したりした場合は、必ずしも取り返しのつかないような結果にならない。アミノ酸がひとつ付け加わったり、取り除かれたりはするが、生物学的活性がすべて失われるとは限らないのである。
 クリックはある晩遅く、同僚のレスリー・バーネットと研究室にやってきて、三つの塩基対を取り去った実験の最終結果を確かめた。そしてすぐさまことの重大さに気づき、バーネットにこう言った。「暗号がトリプレットだと知っているのは、ぼくたちふたりだけだ!」クリックは私とともに二重らせんという生命の秘密を最初に垣間見たが、いまや彼は、その秘密が三文字単語で書かれていることを確かめた最初の人となったのである。

 ここで使っている「暗号」という言葉は、「核酸の塩基対配列をアミノ酸の並びに変える規則」を指している。つまり、DNAからどういう指令体系でアミノ酸が作られ、タンパク質になっていくかの規則性である。1954年にガモフも「重なり合う三つ組み塩基」(オーバーラッピング・トリプレット)がアミノ酸を指定するという考え方を示していた。しかし、ガモフの発想は、塩基対それぞれの表面には、いずれかのアミノ酸の表面の一部と噛み合うような形のくぼみがあるという考え方であった。残念ながらガモフの考え方の延長線上に確証を得られるだけの証拠を見つけることはできなかった。そして、このトリプレットを実証したのは、またしてもクリックだった。