セントラル・ドグマ

 ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)」からの抜粋。

 フランシス・クリックは後に、DNA→RNA→タンパク質という情報の流れを“セントラル・ドグマ”と呼んだ。この考えはその後1955年に、RNAポリメラーゼという酵素が発見されたことにより裏付けられた。RNAポリメラーゼは、ほとんどすべての細胞で、鋳型となる二本鎖のDNAから一本鎖のRNAを作り出すための触媒となっている。
 タンパク質形成のプロセスを探るためには、DNAではなくてRNAを研究するほうがよさそうに思われた。そこでこの「暗号解読」運動を推進しようと、ガモフと私はRNAタイ・クラブというものを作った。会員は、二十種類あるアミノ酸に合わせて二十人に限定した。ガモフはクラブのネクタイをデザインし、アミノ酸の種類分だけタイピンを作らせた。そのタイピンは会員バッジであり、各会員が担当するアミノ酸を表す三つの文字がついていた。私のはプロリンを示すPRO、ガモフのはアラニンを示すALAだった。
 当時、タイピンの文字と言えば、持ち主のイニシャルを表すのが普通だったから、ALAと記されたタイピンを見て人々が戸惑うのをガモフは面白がった。だが彼のおふざけはしっぺ返しを受けることになった。ホテルで小切手を切ろうとしたとき、サインとタイピンのイニシャルが違うことに気づいた従業員に受け取りを拒否されたのだ。
 この暗号解読に関心をもつ科学者が、二十人というメンバーにほぼ収まってしまったころからもわかるように、当時、DNA・RNAの世界は狭かった。ガモフは友人の物理学者エドワード・テラー(LEU:ロイシン)を会員にするのになんの苦労もいらなかったし、私もまた、ずば抜けた想像力をもつカルテックの物理学者リチャード・ファインマン(GLY:グリシン)をクラブに誘った。ファインマンは、原子内部で働く力の研究に行き詰まると、当時私がいた生物学の研究棟へよく遊びに来ていたのである。
 ガモフが1954年に提案した枠組みには、検証が可能だという長所があった。遺伝暗号がオーバーラッピング・トリプレットなら、タンパク質の鎖の中で、決して隣り合わせにならないアミノ酸が多数存在するはずだからである。そこでガモフは新たなタンパク質の配列が判明するのを心待ちにしていた。だが残念ながら、どのアミノ酸も他のアミノ酸と隣り合うことが次々と明らかになり、ガモフの説は次第に支持を失っていった。決定的だったのは、1956年に、シドニー・ブレナー(VAL:バリン)が、当時入手できたかぎりのアミノ酸配列をすべて分析したことだった。
 失敗したのはガモフだけではない。私自身もそうだった。二重らせん発見の直後にカルテックに移った私は、RNAの構造を明らかにしたいと考えていた。だがアレクサンダー・リッチ(ARG:アルギニン)と私はじきに、RNAのX線回折パターンは到底解読できそうにないと思うようになった。RNAの分子構造が、DNAほど美しくも規則的でもないことは明らかだった。
 また、1955年の初めにRNAタイ・クラブのメンバー全員に送付された手紙の中で、フランシス・クリック(TYR:チロシン)は、DNAからタンパク質を作るプロセスを解明する手がかりは、RNAの構造にはないと予測したが、これも私をがっかりさせた。クリックの考えは、アミノ酸ごとに特定の「アダプター分子」があり、それによってアミノ酸がタンパク質合成現場に運ばれるのではないかというものだった。
 彼はこのアダプターそれ自体が、ごく小さなRNA分子かもしれないと予想していた。私は彼の理論に二年のあいだ抵抗した。だがその後、まったく思いがけない生化学上の発見によって、彼のアイディアは正しいことが証明された。
 ザメチニックと彼の共同研究者たちは、ラットの肝臓組織から得られる物質を使い、試験管の中に単純化された細胞内部を再現して、放射性元素で標識したアミノ酸がタンパク質に組み込まれていくようすを追跡することに成功した。ザメチニックはこの方法により、リボゾームがタンパク質合成の場であることを明らかにしたのだった。
 それからまもなくザメチニックは、同僚のマーロン・ホーグランドとともに、アミノ酸がポリペプチド鎖(タンパク質)になる前に、小さなRNA分子と結びつくという、されに思いがけない発見をした。この結果に彼らは首を傾げたが、私からクリックのアダプター理論のことを聞くとすぐに、アミノ酸それぞれに特定のRNAアダプター(トランスファーRNA、転移RNA、tRNA)が存在するというクリックの説を証明した。また、これらトランスファーRNA分子も表面に固有の塩基配列をもち、鋳型となるRNA断片と結びつく。こうしてアミノ酸が並べられ、タンパク質合成がなされるのだ。

 著者であるワトソンとガモフは、RNAにタンパク質合成の手がかりがあるのではないかと、二十人からなるRNAタイ・クラブを結成する。しかし、ワトソンとガモフの試みは、ともに失敗に終わる。ここで、その天才ぶりがまた紹介されているのがフランシス・クリックである。二重らせん構造解明のときもこの天才はワトソンに的確な理論予想を提供している。ここでも、セントラル・ドグマという理論を予想し、それが見事に証明されている。ガモフも人並み外れた天才理論物理学者だが、この本の中では、クリックの天才ぶりが際だっているように思える。