言語野は万能ではない

 酒井邦嘉著「言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか (中公新書)」からの引用。

 私の考えでは、サルの脳が万能であっても一向に構わない。知覚や記憶に関する複雑な情報を扱うには、脳の能力ができるだけ高いことが望ましい。しかし、もし人間の脳のどの領野もチューリング・マシン並だとすると、自然言語に特有の文法は表れないことになってしまう。チョムスキー階層によれば、自然言語の文法は、チューリング・マシンの能力よりも狭いからである。万能であって何でもできるのならば、限られたことをするように強制されない限り、特殊な計算は行わない。「多芸は無芸」ということわざがあるが、何でもできる人は、一芸に秀でているわけではない。
 そこで、人間の言語野では、入力制限のためか、それとも言語野固有の原因により、大脳皮質一般の機能が制限されて言語しか処理できないように特殊化していると考えてみよう。ちょうどチェス・コンピューターがチェスの計算しかできないように、言語野は言語の計算しかできなくなっているとする。機能の一部が制限された方が進化的に高等だと言うのは、一見無理があるように思えるかもしれないが、実は理にかなっている。それは、抑制性の機能を持つ遺伝子(他の遺伝子の発現を制御する遺伝子の一つ)が、新しく付け加わったためだと考えられるからである。
 ムカデは、体節ごとに足を持っているわけだが、さらに進化した昆虫では、胸部の体節にしか足がない。これは、昆虫の頭部や腹部の体節で足が生えないように抑制されているためである。このようなはたらきを持つ遺伝子(ホメオティック遺伝子という)がうまくはたらかないと、ハエの触覚が足に変わってしまったりすることがわかっている。同じ理由で、4枚の羽根のトンボより二枚羽根のハエの方が進化していると言える。
 突然変異によって、もともとチューリング・マシン並みの能力を持っていた大脳皮質の機能の一部が抑制されたとする。その結果が文脈依存文法の能力だとすれば、自然言語に最適な計算ができるようになったことが理解できる。

 ここで、チューリング・マシンとは、サイモン・シンの暗号解読にも出てきたコンピュータの概念を考案したチューリングが提案したチューリング・テストに合格するコンピューターを指している。チューリング・テストは、「ある人が、話題を適当に選んで未知の相手と筆談のやりとりをして、その未知の相手がコンピューターであることを見破れなかったとき合格とするテスト」である。チェス・コンピューターは、チェスに関しては、人間に勝てるが、他の話題になるとまったく役に立たない。そういう意味で、チューリング・テストは不合格となる。
 ここで書かれていることは、仮定であるが、言語野が遺伝子によって言語に特化した形で抑制されているという考え方は、面白いと思う。進化の過程で言語を獲得したという考えるためには、どうしてもこの抑制効果を実証する必要が出てくるだろう。