脳の決定論

 酒井邦嘉著「言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか (中公新書)」からの引用。

 動物は、遺伝子によって、体の形だけでなく行動の特徴までが決められている。多くの人にとって、これは驚きだろう。この考えは、1970年代初めにアメリカのベンザーやブレンナーらとともに遺伝行動学の基礎を築いた、堀田凱樹氏の卓見であった。堀田氏は、行動に異常を起こすショウジョウバエの遺伝子を見つけて、遺伝子から脳、そして行動に至因果関係の存在を明らかにした。遺伝子が神経の回路網を決定し、その構造に基づいて、脳の機能である行動が決定される。これが脳の決定論である。「遺伝子−脳−行動」という連鎖を、「堀田のドグマ」と呼ぶことにしよう。
 脳から決定される人間の行動は、心理学の経験則だけでなく、精緻な理論的予想や数理モデルによって明らかになると期待されるが、実際には難しい。しかも、人間行動のモデルは要求水準が高く、単純化したモデルではすぐに「現実的でない」とはねつけられてしまう。その一方で、「おみくじ」や比較的単純な占いも廃れることはないし、血液型によって性格が決まっていることを信じて疑わない人があまりに多いのはなぜだろうか。天気予報や地震予知と同じように、人間の行動も未来の予測が難しいのだが、そこに何らかの因果関係を求めたくなるのが人の常だろう。
 しかし、天気予報や地震予知が難しいのは、次の状態を決定する要因がたくさんあって、そのすべてがわかっているわけではないことと、その要因のいくつかは確率的な振る舞いをするからである。物理の統計力学が示すように、確率的な過程を支配する自然法則が常に存在することを考えれば、天気や地震などの自然現象と同じように、人間の行動にも因果律的な法則が存在することにも納得がいくであろう。
 堀田ドグマは、行動だけでなく、心の機能を含めた脳機能全般について、普遍的に成り立つと考えられる。すると、言葉を使う人間の心がユニークであるのは、人間の脳に秘密があるわけで、そのメカニズムは、やはり遺伝子によって決められることになる。言語が人間という種に固有な能力なのも、遺伝的に言語が決定されていることを示している。「遺伝子−脳−言語」という認識が、言語の脳科学の前提である。

 酒井氏は、言語は生得的であるとするチョムスキーを支持している。そして、物理学から情報科学、生理学、神経科学、心理学、哲学、言語学までを駆使しなければ、言語の脳科学は研究できないとしている。文系、理系を越えて脳と言語を解明していくことが必要だとも述べている。
 ここで述べられている「遺伝子−脳−言語」という結びつきは、一部の障害が遺伝的に起こる例などがすでに調べられていて、脳のある部分に障害があると言語的な障害が起きるかまでわかってきている。
 しかし、脳のある部分に障害があるとなぜ言語的な障害が発生するのかは推測の域を出ていないように見える。結局、脳の中で言語や記憶といったものが、どういう仕組みで起こっているのかを解き明かすことができ、そこに単純な法則を見つけ出せるようになるまでにはかなりの時間がかかりそうである。自分が生きている間にこのあたりが解明される可能性は非常に少ないと思うが、ぜひ、人間の叡智を結集して解明していってもらいたいテーマだと思う。
 話はそれるが、ここ一年以上、アプローチのウィップスにかかっている。昨日も月例で113というふがいない結果に終わった。脳の中では、行動の約一秒前に信号が出されていることを考えると、アプローチをはじめるきっかけがスイッチになるのだが、どうもそのスイッチの入れるタイミングがおかしいのかも知れない。グラブを振り上げて下ろす時にタイミングをとっているのだが、振り上げる段階をスイッチにしなければ、ウィップスは直りそうもない。
 脳のはなしを読みながら、ゴルフのウィップスをなおす方法を模索している今日この頃です。