宇宙論の簡単な経緯とホイルの貢献(1)

 1920年代、ルメートルがビッグバン・モデル(宇宙創造の瞬間があり、宇宙は進化している)を提唱し、宇宙は永遠で静的なものだと考えられていた従来のモデルに対抗する宇宙モデルが誕生した。アインシュタインは、当初宇宙は永遠で静的なものと信じ、一般相対性理論に宇宙定数なるものを導入していてたが、ハッブルの膨張宇宙の観測結果が示されると、ビッグバン・モデルが正当なモデルだと支持するようになる。
 1940年代、ビッグバン・モデルは、ガモフ、アルファー、ハーマンによって宇宙創造の初期の状態やビッグバンにより今の水素とヘリウムの量が作られたという理論によって、更に理論構築がなされ、宇宙の一つのモデルとして存在感が大きくなる。
 一方、従来の永遠で静的なモデルにも、救世主があらわれ、ホイル、ゴールド、ボンディが定常宇宙モデルを提唱した。このモデルは、宇宙は膨張するが、銀河間に広がっていく空間に新しい物質が生成され、やがて新しい銀河が形成されるというもの。彼らは宇宙は進化するがなにも変わらず、永遠の昔から存在したと論じた。この見方は、ハッブルの赤方偏移の観測と矛盾せず、従来の永遠で静的な宇宙モデルに取って代わった。
 この二つの宇宙論は、1960年半ばにペンジアスとウィルソンが1948年にアルファー、ガモフ、ハーマンによって予測されていたCMB放射を偶然発見するまで続くことになる。この発見で、ほとんどの宇宙論研究者はビッグバン陣営にシフトすることになる。CMB放射に関しては、昨日の日記を参考にしてほしい。
 定常宇宙モデルの提唱者の一人であるホイルは元素合成の問題をビッグバン・モデルと定常宇宙論の争点とは考えずどちらの理論にも重要な問題と考えた。そして、その解明はビッグバン・モデルにも重要な事実を与えることになる。ホイルは、水素とヘリウムの二つの元素しか創生する仮定を説明できないビッグバン・モデルに、他の元素ができる仮定を理論的に付け加えられる重要な理論を確立する。
 サイモン・シン著「ビッグバン宇宙論 (下)」からの引用。

 アーサー・エディントンは、元素合成を説明できそうなひとつの説を打ち出した。「私が思うに、星たちがるつぼとなって、軽い元素から重い元素を合成しているのではなかろうか」しかし星の温度は、表面で数千度、中心部で数百万度ほどと推定されていた。この温度では、水素をゆっくりとヘリウムにすることはできても、ヘリウムを融合させてもっと重い原子核にするにはまったく足りなかった。そのためには数十億度という温度が必要になるのだ。
 たとえばネオンを作るには30億度、もっと重いケイ素を作るには130億度が必要である。ここからまたひとつ問題が生じた。ネオンを作れる環境は、ケイ素を作るには温度が低すぎ、逆にケイ素が作れるほどの温度があれば、ネオンはみなもっと重い元素になってしまうのだ。そうすると、元素ごとに専用のるつぼが必要になり、宇宙は極端な環境を多種取りそろえなければならなくなる。残念ながら、そんなるつぼがいったいどこにあるのか、そもそも実在するのかという問題に答えられる者はいなかった。
 この謎を解くうえで最大の貢献をしたのがフレッド・ホイルである。彼は元素合成の問題をビッグバンVS定常宇宙の争点としては捉えず、どちらの理論にとっても重要な問題だと考えた。ビッグバン・モデルは、初期宇宙にあった基本粒子が、さまざまな存在比で重い元素に変換された理由を説明しなければならず、一定の定常宇宙モデルも、後退する銀河のあいだの空間で生成された粒子が、いかにして重い元素に転換されるのかを説明しなければならなかったからだ。ホイルは研究者として駆け出しの頃から元素合成の問題を考えていたが、どうにか最初の一歩を踏み出すことができたのは、ようやく1940年代末になってからだった。彼の研究が進展を始めるきっかけとなったのは、星がその一生の様々な時期を経過するとき、いったい何が起こるだろうかと考えてみたことだった。
 中年の星は一般に安定していて、水素を融合させてヘリウムを作ることで熱を生み出し、光のエネルギーを放射することで熱を失っている。それと同時に、星の全質量は自らの重力のために内側に引っ張られるが、星の中心部の高温によって生じる莫大な外向きの圧力がこれに対抗している。第Ⅲ章で論じたように、星のこの平衡状態は、風船に作用する力の釣り合いと似ている。風船の場合、引き伸ばされたゴム膜は風船を圧縮しようとし、風船内部の空気は外向きの圧力を及ぼす。この風船の例は、セファイドの明るさが変わる理由を説明するために使われたのだった。

 この続きはまた明日引用する。