英米法と大陸法の歴史的背景

 白田秀彰著「インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]」からの引用。
 法律を大きく分けると、英米法大陸法に分かれる。
 英米法の特徴は、判例主義で、議会が作る法律よりも伝統に根ざした裁判所の判断の法が偉いという仕組みになっている。英米法といってもイギリスとアメリカではこの偉さの意味が違っている。法律家は、イギリスでは「法の伝統的精髄を身に備えた人間」であり、アメリカでは「健全な常識を備えた人間」になる。
 大陸法の特徴は、法律主義で、学者が論理的・理性的に整理した法律案をもとに、議会がバシッと決めてしまい、紙の上に書いた法律の方が判例よりも偉いことになっている。
 この違いはどうもその国の文化や歴史に関係しているらしい。イギリスの場合を引用すると、

 イギリスの司法部は、制度的には王権の下にあったけど、法律家たちがムニャムニャと唱える複雑で難しい法理論に、歴代の王様が従ってしまったという歴史的偶然から、司法部は相当な独立性を持っていた。イギリスでは王権が比較的に弱くて、何度か革命をして王様を取り替えたりした。新しく据えた王様には、「法に従います」「議会に従います」と一筆入れさせて、人民の権利を徐々に強くしていった。そのたびに司法部は「法」を支えにうまく立ち回って正しさを宣する組織として権威を守った。
 革命で王様を処刑したり追い出したりしても、また王様を据えてしまうイギリスは不思議な国だ。おそらく、王権が弱いので、それが存在することの害よりも存在することによる益の方が大きいと考えたのだろうと思う。絶対的に強力だと葬られてしまう。弱いことでかえって生き残れた。司法部にしても似た感じがある。どこかの権力者にベッタリになると、その権力とともに葬られてしまう。何かの理論にガッチリと従うと、その理論とともに消えてしまう。なんともつかみどころのない「法」に依拠しながら、その「法」に粛々と従ったがゆえに生き残れた。

 この部分を読んで思ったのは、「イギリスもやっぱり島国で日本と同じようなところがあるんだ」ということ。日本もどんな時代でも天皇を存続させてきた。その権威は、時代によって異なるが、どの時代の権力者も天皇を存続させてきたのだ。民主主義になった現在でも、天皇を存続させている。イギリスと同様に日本は存続させる害よりも益の方があると考えているのだろう(個人的には益の方が大きいとは必ずしも思わないが)。

 一方、他の欧州諸国では、17世紀から18世紀の絶対王政の頃に、司法部は完全に王権の下に組み込まれてしまい、かなり王様の意向に左右されるようになっていた。だから、市民革命が起きて王様が廃止されてしまった。法律家の言う「法」の根拠は素人にはよくわからなくてアヤしいし、いろんな理屈を認めたら、自分たち(革命に成功した側)の利益をなにやら法で奪い取りかねない、だから、議会が認めた法律に司法部がガッチリ拘束されることを望んだ。これが法律主義の源泉。法律家は事件に対して、法律を機械的に適用する以上のことをしてはならんという状態になった。

 この歴史の背景の違いが法制度に大きく影響したみたいだ。そして、判例主義と法律主義の違いが理由になって、英米法大陸法では、法律の持つ重みが違ってくる。英米法では、法律が「正しさ」に向かうための一般的なガイドラインに過ぎないのに対して、大陸法では、「正しさ」とは論理的に法律に合致していることに等しいことになっている。
 日本の場合、大陸法が導入されたため、英米法のアメリカやイギリスとはかなり違った法運用が行われていることになる。アメリカでは、インターネットの登場に伴う新しい社会問題に対して対応が早いのに対して、大陸法の日本では非常に時間がかかってしまう。これは、上記法律の重みの違いからきている。
 イギリスに関しての法と慣習に関しては、明日もう一つ引用する予定。