相似と相同

スティーブン・ピンカー著「言語を生みだす本能」からの引用。

 生物学では、類似性を二つに区別する。「相似」的な特徴というのは、進化の木のべつべつの枝で発生する器官が機能を共通することをいう。相似的な器官は、厳密にいえば「同じ」ではない。鳥の羽根とハチの羽根は相似形の典型例である。いずれも飛ぶために使われる。飛ぶ手段になりうるものの構造にそう種類があるわけではないから、似ているところもいくつかある。しかし、両者は進化の過程で別個に発生したもので、飛ぶために使うという以上の共通性はない。これに対して、「相同」的な特徴は、機能が共通しているか否かに関係なく、共通の祖先を持ち、したがって、「同じ」器官であることを示す共通の構造を持っている。コウモリの羽根、ウマの前足、アシカの前びれ、モグラのかぎ爪、ヒトの手は、それぞれ機能が違うが、すべての哺乳類に共通する先祖の前肢が変化したもので、骨の数や、骨どうしのつながり方などの非機能的特徴が共通している。

 発生器官は別だが、機能が共通しているのが「相似」、機能は共通していないが、発生器官が同じ物を「相同」というらしい。ピンカーは、人間以外が言語を扱えるためには、「相同形」がないといけないと言っている。

 そこで、興味深いのは、現代の動物王国のなかに、人間の言語と「相同形」(生物学的には「同じ」)といえるものがあるだろうか。という問題である。時間軸に沿った配列などの特徴を発見しても、役には立たない。人間の祖先になりえないはるか離れた枝(たとえば、鳥)での発見は、されに意味がない。ここで、霊長類の出番がくる。(中略)相同形を探すのであれば、ヒトニザルの記号体系と人間の言語の療法に存在する特徴で、しかも、進化の過程で二度(一度はヒトの進化の過程で、二度目は、研究者たちがチンパンジーに教えやすい記号体系を考案する過程で)発生する程度には伝達行動にとって有用なものを見つけなければならない。例えば、ヒトニザルの発達過程観察し、音節発音期、喃語期、一語発語期、二語文期、文法のダム決壊期といったヒトの発達で見られるような段階を踏むか否かを点検する。あるいは、名詞や動詞、活用、Xバー構造、語幹と語根、助動詞の位置を移動して疑問文を作るルールなど、人間の普遍文法の特徴を、ヒトニザルが発明したり、好んで使うことがあるか否かを点検する(これらの特徴は、ヒトニザルにもし見られるならば、検知できないほど抽象的なものではない。言語学者がアメリカサインランゲージやクレオール語を見たとき、まっ先に目につく特徴である)。あるいはまた、神経解剖学の手法を使って、ヒトニザルの大脳左半球の、シルヴィウス裂溝周辺部位が記号体系を制御しているか否か、前方部位が文法を、後方部位心的辞書を制御しているか否かを点検することもできる。生物学の分野では、19世紀以来、こうした点検作業をするのが当たり前になっているが、チンパンジーの手話に適用されたことは一度もない。もっとも、答えはかなりの精度で予想できるのだが。

 ここまで言われてしまうと、人間と同じように言語を操る生物はいないことになるだろう。確かに、ピンカーが言うように、進化の過程で、言語を獲得し、それが遺伝子によって導かれるのであれば、現存する生物の中に言語を扱える生物は皆無に等しい。ただ、認識する方法が人間の文法に従っていないだけで、普遍文法をある程度活用して情報を蓄積し、無意識のうちに判断している動物はいるのかもしれない。この部分に関しては、ピンカーも否定していない。
 茂木健一郎の本を読み始めたのだが、ピンカーが言っているほど論理的に人間は、言葉を認識をしていないみたいだ。ピンカーの言い方を借りれば、一つ一つの名詞句や動詞句を人間は文法的に生得しているが、この名詞句や動詞句は常に新しい情報が加わり変化しているらしい。
 この辺に関しては、別途紹介する。