言語についての先入観

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)


 「生命8つの謎」の参考図書の一つ、スティーブン・ピンカー著「言語を生みだす本能」からの引用。人間誰でも、ある程度の教育を受けていれば、下記のような先入観を持っているという。

 ある程度の教育を受けた人の大半は、言語について先入観を持っている。いわく、言語とは人類のもっとも重要な文化的発明品である。言語は記号を使う能力が顕在化したものである。言語を獲得するという生物学的に前例を見ない出来事によって人類はその他の動物と永遠に袂を分かった。言語の影響は思考全般に及ぶから、言語が違えば現実を把握するやり方も異なってくる。子どもは周囲の大人をモデルとして言語を習得する。文法的に正しい言葉使いは学校で培われるが、教育のレベルが下がったと同時に、低級なポップカルチャーが蔓延したせいで、文法的に正しい文を作る能力が恐ろしいほど低下している。英語は騒々しく非論理的な言語で、パークウェイをドライブするくせにドライブウェイで車をパークし、リサイタルで演奏(プレイ)するくせに、演劇(プレイ)のなかで暗唱(リサイト)する。そのうえ、英語の綴りは理屈に合わない。バーナード・ショーも、タフのフはgh、ウィメンのィはo、ネイションのショはtiと綴るのだから、フィッシュもfishではなくghothiと書けばいい、と皮肉ったではないか。発音するとおりに綴る理論的な方式に変えられないのは、ひとえに政府や教育機関が怠惰だからである、等々。

 確かに、日本語の起源を調べている大野晋さんの本などによれば、日本語の起源は古代タミル語であり、異民族間で文化的継承が何らかの形で行われてきたと推測していたような気がする。つまり、「言語は文化的発明品である」的発想である。
 著者のスティーブン・ピンカー氏は、言語は「本能」であるといい、下記内容を約束している。

 約束する。本書を読み終わったときには、いま羅列した考え方のすべてが間違っていると確信してもらえるはずだ。間違っている理由はただ一つ。言語は文化的人工物ではなく、したがって、時計の見方や連邦政府の仕組みを習うようには習得できない。言語は人間の脳のなかに確固とした位置を占めている。言語を使うという特殊で複雑な技能は、正式に教えられなくても子どものなかで自然発生的に発達する。私たちは言語の根底にある論理を意識することなく言語を操る。誰の言語も質的には同等であり、言語能力は、情報を処理したり知的に行動するといった一般能力と一線を画している。

 「生命8つの謎」では、紙面の制約もあり、「言語は本能である」という部分ついては、詳細に触れらいなかった。「ピジン」から「クレオール」への変化についてもさらりとしか触れられていなかったので、今一理解に苦しむところがあった。本書は、これらの疑問に十分答えてくれそうな気がしている。まだ、序盤しか読んでいないが、非常に楽しみな本である。