読売新聞 編集委員 小出重幸氏へのインタービュー

 今月のPVC newsの「視点・有識者に聞く」で読売新聞の編集委員である小出さんへのインタビューが掲載されている。メディア側にいらっしゃる方の中では環境問題に対してバランス感覚を持っている方だと思うので、インタビューで話されているいくつかを引用する。

 いつ、どこで、誰が、どうして、どうなったという、いわゆる5W1Hが報道の原点であることは、科学部でも経済部や社会部でも変わりません。基礎的情報を取材し、それを論理的に組み立て、その先に何があるのか、どの方向にどれぐらいのベクトルで問題が動こうとしているのかを捉え、それを社会という座標軸の上にプロットしてみせるのが我々の仕事です。
 それと同時に、ジャーナリストに要求されるもうひとつの重要な視点は、取材した話のどこまでが事実で、どこに思い違いや虚偽の情報が混じっているのか、その輪郭をはっきり見極めねばならないということです。

 この具体例として、「ダイオキシン問題」と「マイナスイオン問題」を取り上げている。

 例えば、ダイオキシン問題が騒がれたときも、所沢の葉物野菜が危ないといった様々な不確実な情報が入り乱れました。そういう情報のどこまでが本当でどこに嘘があるのか、どの部分を伝えればいいのかを判断するのは大変難しいことですが、これはメディアのコミュニケーションのあり方にとって最も重要な部分なのです。
 最近の例では、家電の「マイナスイオン」という実態がよく分からない言葉が飛びかっています。メーカーでは体にいいと宣伝しますが、広報担当などの話を聞いても生理学的意味、効果を裏付けるデータが分からない。読売新聞にも、時にこうした商品の紹介記事が載ることがありますが、私たちは記事をできるだけ相互チェックして、実態が分からないから、少なくとも体にいいとか健康にいいという表現は止めたほうがいいなど、担当の編集者やデスクと話し合うようにしています。
 マイナスイオンに関わらず、科学的な内容を伝える以上は、例え商品の紹介であっても科学の枠の中で、データに基づいた表現でなければなりません。そうでないと、不確かな情報がメディアを通してフレームアップされかねないし、科学的に理解しようとする読者の努力を損なうことになってしまいます。

 ダイオキシンの場合、どこまでが本当なのか、どこに嘘があるのかをメディアが判断できなかったことが反省点みたいだ。
 また、マイナスイオンの場合は、「体にいい」とスポンサーに成り得る企業は主張するが、その科学的根拠が理解できない。そんな中、その商品の紹介記事を書かなければならないことがあったらしい。対応策として、少なくとも体にいいとか健康にいいという表現は辞めた方がいいなど、担当の編集者やデスクと話し合ったと話している。
 しかし、最近でこそ「マイナスイオン」に関して、メディアが慎重に扱うようになったが、実際「マイナスイオン」はブームとなり、多くの人が今も企業側が言っていることを鵜呑みにして使っているのが現状だと思う。
 環境ホルモン報道が残した教訓について、次のように述べている。まず、反省点。

 環境ホルモンに関する報道も我々に様々な教訓をもたらしてくれたと言えます。環境省の調査結果「化学物質と環境」(黒本)が「内分泌かく乱の可能性があるビスフェノールAが日本の河川から検出された」ことを報告したのは、1998年の1月。そのときの新聞の第1報では「内分泌かく乱を起こすとされる物質」という比較的事実に即した言葉が使われていましたが、翌日には殆どのメディアが「内分泌かく乱物質のひとつ」という表現になり、いつの間にか「可能性のある物質」が「環境ホルモンのひとつ」に変わってしまいました。これが事実関係の最初の食い違いでした。
 それからは、新聞にも不安を煽るようなコラムが載ったり、週刊誌やテレビもだんだんエスカレートしてきて、「猛毒」「人類滅亡」「衝撃の生殖破壊」とったエキセントリックな見出しが誌面に躍る、民放テレビのニュースショーは虚実ない交ぜの討論番組を流す、といった異常な状況が続きました。
 この一連の流れから得られる第一の教訓は、科学的事実とメディアの報道があまりにかけ離れてしまい、その結果社会を混乱させた、というデメリットの部分です。果ては母乳も危ないから止めたほうがいいとまで言われ、母乳のメリットとデメリットを冷静に判断することもなく、イチかゼロか、黒か白かという議論に突っ走る傾向が出てきてしまいました。

 環境ホルモンの場合、報道で使われる言葉が、「内分泌かく乱を起こすとされる物質」から僅か一日で、「環境ホルモンの一つ」に変わってしまったことを述べている。あとは、坂を転がり落ちるように表現が過激になっていき、「猛毒」、「人類滅亡」、「衝撃の生殖破壊」と進んでいった。科学的事実とメディアの報道があまりにかけ離れてしまったことが、社会の混乱を生んだと反省している。しかし、環境ホルモン問題は、デメリットだけでなく、メリットもあったという。、

 科学者がこれまで光を当てなかった領域にも、生態系あるいは人間へのリスクがあり得るということがきちんと指摘されたことです。これにより、政府も敏感に反応して調査に着手した結果、当初心配したほどではないという実態も分かってきたのです。

 「本当に大切なのは、リスクがどれだけあるのかを冷静に判断した上で、極力エキセントリックな態度を排して、慎重に事実に基づいた情報を提供していくことだ」と言っている。
 この後、メディアに関して、面白いことを言っている。

テレビや週刊誌のように娯楽の提供を目的とするメディアには、事実より話題性、面白さの提供に重点を置き、事実の判断や真偽は別途判断すればいいという立場もあります。ひとくちに「マスコミ」「メディア」と言ってもさまざまな役割があります。メディアによっていろいろな特性があることを、知っておいてほしいと思います。
 新聞記事とテレビのニュースショーは違うものなのです。すべてのメディアをひとまとめに考えている人もあるかもしれませんが、それはむしろ視聴者、読者にとって不利益になりませんか。これだけメディアが身近になっているのですから、市民にもメディアごとの特性を理解してその利用法を考えてほしい。それは、市民の権利であると同時に義務でもあると思います。

 メディアには色々な種類があるので、その特性を視聴者・読者がしっかり知っておく必要があると述べている。週刊誌と新聞ではその特性が違うことは、おそらく誰でもわかっていると思う。しかし、小出氏は、新聞記事とテレビのニュースショーとは違うものだといっている。ニュースショー、つまりテレビで流しているのは、ショーなのだと。
 最近、民法のニュースショーを見ているとワイドショーと変わりなくなっていると思っているのは私だけだろうか。小出氏が区分けしているように、新聞記事とテレビのニュースショーは分けて考えた方が良いように思う。