言語の起源

「生命進化8つの謎」からの引用。

 われわれの生活は社会的な分業と、こまごました社会的な契約にかかっていて、こうしたものは言語なしには存在しえない。類人猿やイルカには、【文字ではなく】口で話す形にしても、仕事の契約などは理解できないだろう。
 過去二十年間、言語には強い遺伝的な要素があるという確信が育ってきた。ある意味でわれわれの言語能力は、生まれつきのものなのだ。人間は話すことができるが、類人猿にはできない。そしてその理由は、われわれが遺伝的に違っていることにある。
(中略)
 言語の革命は大部分がノーム・チョムスキーとその学派によるもので、そこから三つの主要な洞察が得られた。

  1. 自然言語ハンガリー語とか英語とか−には、それぞれ一定の一組の規則がある。これらの規則を適用することによって、その言語でのあらゆる可能な文法的な文を生成することができる。この規則をまとめた表は生成文法と言われる。
  2. 人間の子どもは、どんな遺伝的な起源をもっていようと、どの言語でも学ぶことができる。大人についても、程度は劣るが、その人がすでに母国語を学んでいる限り、同様なことが言える。つまりどの特定の生成文法とも取り組むことのできる一般能力があるわけで、これは「普遍文法」と呼ばれる。
  3. 普遍文法は強い生得的な成文をもっている。

 最後に記載されている「生得的な成分」とは遺伝的な要素を表している。人間が言語を扱えるのは、遺伝的な要素だと著者は言っている。そして、これが遺伝的な要素であることを証明するのは、非常に難しいと言っている。なぜなら、この遺伝的な要素は、人間独自のものであり、他の生物から類推することが難しいからだ。また、進化の過程を推測できる化石のような過去の記録は言語の場合残っていないため、その起源を想定することが難しい。

 鍵となるの問題は、行動主義者が信じたがっているようにわれわれは言語を単に「試行錯誤」によって学ぶのか、あるいは人間の脳には何かハードとして配線された本能的な「知識」があり、遺伝的な基礎をもっているのではないかということだ。興味深いことに、この後者の考え方はまったく新しいものではない。十七世紀に「哲学的文法」という形でそれは現れたのだが、ロマン主義の台頭以後、忘れ去られてしまった。確かに、「言語的な入力」が完全に除かれてしまえば言語は発達することができない。誰一人話しかける人がいなければ、話すことは学べないだろう。こうした「臨界期」があることを示唆する歴史上の注目すべき事例が見られる。それは、母親の口から学ぶという窓が閉じられてしまう思春期ごろまでで終わりとなる。この臨界期に学ぶ機会をもし逸してしまうと、自然な言語を適切に自分のものとすることは決してできないだろう。悲しい例だが、文献がよく揃っているものとして、ジェニーの場合がある。父親が長年の間この少女を鍵を掛けて閉じこめていた。後に彼女は話すことを教えられたが、ブロークンであまり文法的でない英語のレベル以上には、ついに達しなかった。だから言語の入力が絶対不可欠ではあるようだ。

 人間の脳には何かハードとして配線された本能的な「知識」(知識は、個人的には能力の方があっているような気がする)があり、幼少の時期にこの能力が強く働いていることを示唆している。ジェニーの場合、幼少時期に人と接する機会が断たれたため、正常な言語能力が身につかなかった。正しい文法の使い方が身につかなかったのだ。この人間の脳には何かハードとして配線された本能的な「知識」を著者は、「言語獲得装置」と言っている。

 ノーム・チョイスキーとその後継者たちが強く打ち出している主張では、「刺激の貧困」ということが言われている。文の中で語の順序や文法的な事項をいろいろ変えると、大部分はわけのわからないたわ言みたいなものになってしまう。どの文章が文法的でどれは違うということを示す何か内部の「導き」なしには、耳で聞いた実例だけにもとづいて児童が学習できる方法はないだろう。事態をさらに難しくしているのは、多くの両親が子どもの文法の間違いを直さないことだ(親たちはむしろ品のわるい四文字語を口走ったりすることの方をはるかに気にしているように見える)。最近の研究からは明らかに、二歳から四歳の児童は込み入って文法的なことがらを「本能的に」理解することが確かめられていて、これは通常の学習のしくみから予期されるものをはるかに上まわっている。つまり脳の中に「言語獲得装置」があり、これが言語入力によってきっかけを与えられ、結局その働きで固有の言語に到達するように思われてるのだ。生得的なのはこの言語獲得装置であって、「十分に発達した言語処理器」ではないようだ。

 著者は、この言語獲得装置を説明する前に、生得的な視覚獲得装置に関して述べている。この視覚獲得装置も言語獲得装置と同じように幼少時期に適当な視覚入力を得て、発達していくもので、こちらは他の動物実験などから裏づけがなされている。言語の場合も他の器官と同じように遺伝的な要素があり、不可逆的な要素を持っていることを示している。