クリプトグラフィー

 サイモン・シン著「暗号解読」より

 古今さまざまなステガノグラフィーが利用されてきたのは、この方法が多少とも安全性を保証してくれたからだった。しかし、ステガノグラフィーには根本的な欠陥がある。もしも伝令が取り調べを受けてメッセージが見つかれば、秘密通信の内容がすぐに露見することだ。メッセージが敵の手に落ちることが、そのまま秘密の漏洩につながってしまうのである。細心な警備員は、書字板の蝋を削り、白紙をあぶり、ゆで卵の殻をむき、頭髪を剃って、国境を越えようとする者を厳しく取り調べるだろう。そうなれば、いずれメッセージが見つかることは避けられない。
 そこで、ステガノグラフィーと平行して「クリプトグラフィー(暗号)」が発展した。この言葉はk、「隠された」という意味のギリシャ語「クリプト」に由来する。クリプトグラフィーの目的は、メッセージの存在を隠すのではなく、その内容を隠すことにある。内容を隠すプロセスのことを、「暗号化(エンクリプション)」という。暗号化を行うには、発信者と受信者とがあるかじめ取り決めておいた暗号の規約=プロトコルにしたがってメッセージにスクランブルをかける(つまり、めちゃめちゃに変えてしまう)。スクランブルをかけたときのプロトコルを逆に用いれば、メッセージを読んで理解することができる。クリプトグラフィーの長所は、暗号化されたメッセージが敵の手に落ちたとしても、メッセージの内容を知られずにすむことだ。スクランブルのプロトコルを知らなければ、暗号化された文章からもとのメッセージを復元することは不可能ではないにせよ非常に難しいのである。

 ステガノグラフィーとクリプトグラフィーは同時に用いられることが多いようだ。スクランブルをかけてから隠すという手続きがとられる。一例として第二次世界大戦中に用いられたステガノグラフィーの一種であるマクロドットが取り上げられている。
 ラテンアメリカで活躍していたドイツのスパイは、一ページ分のテキストを直径1ミリメートルに満たない点に縮小し、何のへんてつもない文章のピリオドの上に隠していた。アメリカのFBIが最初にマクロドットを発見したのは、1941年、「手紙の表面に小さな光がないか気をつけろ」との通報を受けてのことだった。「小さな光」とは、なめらかなフィルムのことだったらしい。これ以降アメリカ人は発見したマイクロドットの内容をたいてい読むことができたが、ドイツのスパイが用心を重ね、メッセージにスクランブルをかけて隠したマイクロドットの場合はその限りではなかったらしい。ステガノグラフィーとクリプトグラフィーとの併用である。