第7回口頭弁論

 今回も、傍聴できなかったが、被告が提出した準備書面(3)と意見書環境ホルモン訴訟事件:中西応援団のホームページで公開されている。
 被告が提出した準備書面によると、原告は、訴状請求原因第2の2項(2)(=5ページ)において、問題の事実摘示とは、

  1. 原告が、すでに環境ホルモンは終わったものと考え、別の新たな課題へと関心を移していること。
  2. 原告が、原論文を十分に吟味することなく、新聞記事をそのまま紹介したこと。

としていた。1.については、

学者が「新たな課題へ関心を移すこと」はごく一般的なことであり、そのことが不名誉とされる理由も考えられないことであった。したがって、仮に、被告がそのような事実摘示をしても、それで名誉毀損問題など起こるはずのないことであった。

と述べられ、

原告は、もともと土木を専門としていたが、その後も研究テーマを変え、実際、ナノについても、本件のシンポジウムからまもなく、文科省の科学研究費補助金を「ナノ素材の毒性・代謝機構とその環境影響評価」という研究題目の研究について受け取っているのである。

という事実も指摘している。この時点で、1.に関しては、決着がついたも同然なのだが、さらに、原告が提出した準備書面(3)において、

1.について、事実摘示の内容を「原告は、・・・これまで環境ホルモン研究を推進し・・にも関わらず、手のひらを返したように宗旨替えをし、・・・・環境ホルモン騒動の責任をとらないままに、新たな危険情報の発信をしている」
「原告が、・・公の場において、・・・重要な事柄について・・節操のない発言をした」と大きく拡大・変更したのである。

と述べ、原告側が途中から1.の事実摘示について、拡大解釈を始めたことを指摘している。この拡大解釈に対して、

提訴から1年以上経った時点で、「読者の普通の注意と読み方とを基準と」しないような特殊な読み方を持ち出して、それにより、本件ホームページには、訴状記載事実を遙かに逸脱する事実が記載してあると言い出したこと自体について異議がある。

と意義を申し立てている。次に、名誉毀損の成否の基準が、

、「一般の読者の普通の読み方」であることについては、争いがない。

とした上で、事実摘示は、

新聞記事のスライドを見せて『次はナノです』と言った

部分であり、その後に続く部分は、

被告の個人的印象ないし解釈であることは明らかである。

として、従来からの主張を繰り返し述べている。そして、

ホームページ記事の「驚いた」というのは「次はナノです」として研究テーマを動かしたことに驚いたのではなく、「新聞記事のスライドを見せるだけ」という、リスクコミュニケーション問題のイロハも理解しないやり方で、新しいナノ問題を取りあげたこと、しかも、それがリスクコミュニケーションのあり方を論じているシンポジウムの場であったことに驚いたのである。そのことは、前後の文章を読めば明らかである。また、ホームページ記事の主要な部分が、原告のプレゼンテーションのあり方にあった。

ことを「驚いた」の解釈について、再度述べている。また、原告側の解釈が、

「宗旨替え」とか「節操」などという、宗教団体を思わせるようなとらえ方は、被告としては理解できないし、一般読者の常識からもかけ離れている。

ことも指摘している。
そして、原告側準備書面(3)で述べられている研究テーマを他に移すことの是非について、

原告の主張は、原告自身が生涯をかけて環境ホルモン問題を研究する研究者であることが広く知られていること、また、他の研究テーマに関心を移すことは悪いことだという認識を前提にするが、被告としてはそのようなことは考えたこともなかった。むしろ、研究者は、問題に柔軟に取り組み、研究テーマを変えることは是と考えていたのである。

と被告側の意見を述べている。
 2.に関して、

 原告のプレゼンテーションの仕方についての被告の批判が、研究者としてまったく正当な批判であることは、これまで主張してきたことで十分と考える。付言するに、本件のシンポジウムのテーマがリスクコミュニケーションであったこと、そして、他のシンポジストが指摘したように、マスメディアがかき立てるリスク情報は誤ったリスク認識をさせるという問題があることや、ニュース価値を増すために誇張して刺激的にする(乙5の9ページの内分泌撹乱問題等)ということがある。
 このようなシンポジウムの趣旨やそれまでの議論の経過を前提にするならば、いわばそれらを一切無視するように、刺激的な新聞記事だけに依拠した形でナノ粒子の有害性を強調する発言をした原告のプレゼンテーションのありかたが強く批判されるべきであるのは当然であろう。

と述べ、原告のプレゼンテーションのあり方に問題があり、批判されて当然であることが述べられている。
 原告側は、当初より「環境ホルモン問題は終わった」という発言が名誉毀損にあたると主張し、「環境ホルモン問題は終わっていない」と主張し続けている。しかし、この問題は、名誉毀損とは関係ない学術的な論点であり、最初から無理がある訴えだったと思う。
 そちらの主張に持っていきたいがために、原告側は、被告を中傷したり、事実解釈を拡大したりしてきた。しかし、この手の行為は、名誉毀損からどんどん離れていくだけで、裁判の行方に影響を及ぼすとは到底思えない。
 この裁判の原告側の主張を何度読み返しても、結局、原告側の意図がどこにあるのかという疑問に最終的には戻ってしまう。
 原告が、リスクコミュニケーションを理解してシンポジウムに参加したとは思えないし、発表自体が、パネルディスカッションの内容を理解していないお粗末なものだったことも事実だ。その発表が批判されても仕方がない。
 環境ホルモン推進派が、名誉毀損の裁判というかたちで、学会や研究者を養護しようとした方法に問題があったのだろう。
 今回傍聴した方によると、当意見書に対しての反論は無かったようだ。次回、被告の口頭弁論書が宿題として出されたそうだが、後数回で決着がつきそうな気もする。
 今回の裁判では、弁護士の裁量がよく現れていると思う。間違っても原告側の弁護団に依頼をするのはやめた方が良いのではないかと思う。