科学者の情報発信

 中西先生の雑感346-2006.5.23で、科学者の情報発信について述べられている。

専門誌にアクセスできる人は少ないし、“科学的に証明された”“効果が明らかになった”と断言する医学博士が登場するのはしばしばであるから、そういうデタラメを排除することは大事だし、それは科学者コミュニティの責任である。

 この立場は、前々から中西先生がおっしゃっている内容。科学学会に参加されている方々が、専門家に向けてではなく、一般の人たちに向けた発信を行うべきという考え方だ。多くの学会では、残念ながら一般の人へのメッセージを発言したり、公開することはない。企業が主催する工業会などでは、営利目的を踏まえて一般向けメッセージを行うことがあるが、学会がこうしたことを行ったという話は聞いたことがない。最近、物理学会疑似科学に関してシンポジウムを開いたが、日本においては、これが初めての情報発信ではないだろうか。
 各個人の科学者が、意見を一般に向けて述べる傾向は、インターネットの普及とともに増えてきている気がする。しかし、中西先生が言っているように、先のこととなると意見が当然異なってくる。

しかし、だから将来こうなるとか、こういう有害性があるとか、こういう効能があるとかいうことは、どうしても意見が分かれる。なんらかの判断が必要だからである。判断は科学ではないというのは長い間信じられてきたことである。しかし、判断を科学の枠組みの中に取り込まないと何もできない領域が増えている。
判断にはどうしても違いが出るし、結論には幅が出る。いくら議論しても埋めることが出来ないこともあろう。
その違い、つまり違った意見を市民に知らせることが必要だと思うのである。その際、その判断の部分の筋道を示すことが重要だと思う。判断、その違いも含めた枠組みが科学でなければならなくなっているのである。科学的な結論は、One Voiceとは限らない。素人にそんなもの示されても困るだろうという人がいる、しかし、それしかない。敢えてOne Voiceを狙うと、皆がほしい情報は得られない。いや、間違うし、進歩がないと思う。
市民は選ぶしかないのである。
どうやって?
論理の運びが正しそうかどうか判断し、選ぶしかない。発信者も、どういう論理の運びかを言う必要がある。

 一般サイドから言わせてもらえば、学会のようなまとまった組織で議論の中身を含めて情報発信をしてほしい。そうでないと、我々一般人は、判断を間違える可能性がある。科学情報には、仮説と事実が入り交じっている。この部分も明確にした情報発信も必要だ。是が非論的な情報発信は逆に、一般サイドを混乱させる種となりかねない。