集中大量生産から分散適量生産へ(1)

引き続き、超臨界流体技術と分散型製造プロセスの構築から。

 20世紀の物質文明は生産技術の進歩によることはもちろんのこと、集中大量生産による製品単価の驚くべき引き下げ効果によるところが大きい。化学プロセスの製造コストはおおよそ生産量の0.6乗で増加する。このスケール則に従うと、ある生産規模で1,000円/kgの製造コストとすれば、その10万倍の生産規模では10円/kgとなる。巨大な市場を必要とするが、集中大量生産の経済効果はいかに大きいかが理解できる。一方、このような集中大量生産は石油資源の大量かつ安価で安定な供給を前提として成立しているものであり、薄く、遍く降り注ぐ太陽エネルギーを前提とした生産システムではない。すなわち、集中大量生産方式をそのままにし、集中型の化石資源とは異なる分散型の太陽エネルギーでの代替の可能性を議論すること自体無理であり、論理性を欠くことになる。さらに、資源の大量供給から製品の大量廃棄への一方向の物質の流れを前提として効率化された集中生産方式に対し、物質循環を前提とした生産方式は、家庭レベルまでにも広く流通し、分散して存在する製品、あるいは地球上で再生可能な唯一の有機資源である広く薄く産出するバイオマスのような分散型資源を原料とすることになる。このような分散型資源を原料とする場合、原料の大量集荷の困難さから集中大量生産が効率的であるとは言い難く、スケールメリットを前提とした既存の化学プロセスの根本的な改革が必要と考える。すなわち、持続可能な社会構築のためには、文明の維持に必須なエネルギーと物質、両者の流れが集中型から分散型へ移行せざる得ず、生産方式も集中大量生産から分散適量生産へと改革することになる。分散適量生産が成立する必要条件として、ある製品あるいは製品群の「→原料入荷→生産→配送→使用・消費→廃棄・集荷→原料化処理→」で表されるライフサイクルが該当地域で採取される太陽由来のエネルギーで自立していなければならない。

 集中大量生産から分散適量生産へのシフトは、まさに改革となる。この改革をスムーズに進めるためには、ソフトランディングが必須だと思う。ある日突然、変わるような改革ではない。少なくとも10年から20年単位で移行していかなければならない。準備期間も考えると50年単位での改革が必要だ。昨日も書いたとおり、技術的課題を克服していくことも大事だが、社会システムの構築が欠かせない課題となる。
 石油だけでなく、鉱物に関しても枯渇までは行かなくとも、広く薄く産出する傾向になってくる。中国の急激な発展が、鉱物を広く薄く産出するようになってしまう時期を加速度的に早めてしまう可能性がある。そうなってくると、今のコストで鉱物資源を使用することは難しくなり、集中大量生産が成り立たなくなってしまう。しかも、日本の場合、鉱物をほとんど海外からの輸入に頼っている実情がある。他の国よりも問題が深刻化するのは早いと思う。この部分をどう解決していくかも大きな課題だと思う。
 持続可能な循環型社会の実現には、ライフサイクルに準じた製品設計も必須となる。今のような2サイクルのリサイクルでは、焼け石に水である。これを実現するには、原料化処理技術の確立が必要だが、廃棄物の分別・集荷・洗浄も大切になってくる。特に、建築物廃材の場合、人手で解体できないため廃材自体にいろいろな物が混ざって回収されている。分別が簡単に行えるような建築設計が必要になっている。一部使用され始めているがスケルトン住宅の発想から発展させた建築設計が必要なのかもしれない。
 複合素材の問題もある。複合素材を分別することは、今のままでは困難だ。複合材料をそのまま再生して使用できるようにするか、個々の材料に簡単に分けることができる技術も必要になってくる。
 このように、ちょっと考えただけでも、課題がたくさんわき出てくる。しかし、一つ一つクリアしていかなければ、石油の枯渇までに、いや石油を広く薄く産出するまでに生産の改革を終わらすことはできないと思う。論理的に課題をあげ、リスト化し、問題を解決していく社会システムの構築が必須なような気がする。