欧州のエリート教育とアイデンティティの変化

 昨日紹介した脇阪紀行著「大欧州の時代」から参考となった部分を何回かに分けて紹介してゆきたい。今回は、第1章ブリュッセルの素顔、4.欧州人の人脈より引用させてもらう。

 欧州大学院大学は第二次世界大戦後、欧州統合を唱えたスペインの政治家サルバドル・マダリアガ氏の提唱によって49年に創設された。欧州統合の意義を理解する人材を育てることを目標に揚げている。模擬授業はEUが同校だけに認めた特権だ。(中略)
 模擬授業は、実際の閣僚会議とまったく同じやり方で行われた。(中略)
 政治行政に属する学生60人に課せられた討議テーマは、近年、市民の関心が高まる「EUの不法移民問題」だった。学生たちは、単に意見を言い合うのではなく、会議の決議文書を作らなければならない。採択される決議の文言一つひとつに各国の国益が絡んでおり、文言を修正させるためには、政策についての専門知識ばかりでなく、相手を説得し、立場の違いを埋めていく交渉術が求められる。
 議論が紛糾した際には、議長の裁定で休憩し、同じ立場の「国」同士が集まっての舞台裏の非公式折衝も行われた。約4時間の討議によって不法移民の取り締まり策、移民出身国への送還問題などについての閣僚会議の合意が出来上がった。

 欧州大学院大学での模擬授業の模様を伝えている。この模擬授業は、ブリュッセルにある欧州区の会議場を実際に使用して行われているらしい。ユニークなのは、決議文書を作成しなければならないという点。文系ではないので、こういう模擬授業が日本でも行われているのか知るすべもないが、実際に合わせたエリート教育がこの欧州大学院大学では行われている。

 同校の予算の四分の一はEUが負担し、残りはほぼEU加盟国が負担する。毎年秋には、欧州各国やEUの首脳が記念講演を行うのが恒例になっている。(中略)
 同校関係者によると、これまでの同校の卒業生は約7500人。このうち、約800人が欧州委員会、欧州会議などEU機関で働いている。職員約2万人の組織の中では決して大集団ではないが、欧州委員会の官房スタッフ200人のうち約30人を同校OBが占めており、「EUの中では一番出世に有利な学閥」とやっかむ声がEU内外で聞かれる。

 EUが全面的にバックアップし、同校出身者がEUの主要ポストにつきつつあることを示している。
 こうした教育や欧州が行ってきたことが、欧州人意識に変化がもたらしていると著者は言っている。その意識の変化とは、

 国民−欧州人という二層構造ではなく、むしろ、地域−国家−欧州という重層的なアイデンティティ意識が人々の中にごく自然に育っている証であろう。
 その一番いい例がベルギーである。先に述べたように、この国は北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏に大きく分かれ、東部には、少数とはいえ、ドイツ語を話す住民もいる。
 国連開発計画の「人間開発報告」(2004年版)によると、「自分のアイデンティティはベルギー人」と答えた人は二割足らずで、大半のベルギー人が自分の言語地域をまず、自分のアイデンティティとしてあげた。(中略)
 先の「人間開発報告」は、世界各地で宗教、民族、人種が異なる人々の間の対立、紛争が広がる中で、ベルギーのように国民が複数のアイデンティティを認め合うような連邦制のかたちこそが、21世紀に世界に平和と安定をもたらす統治の姿だとの見解を示している。

 日本の場合でも、地方分権化が進めば、この重層的なアイデンティティが生まれてくる可能性はある。ただし、日本の場合、地域−国家までで、その上の欧州にあたる連邦制文化圏がまだ構築できていない。
 国連開発計画が言っているように、21世紀のへ会の平和と安定は、この重層的アイデンティティの確立が必須なのかも知れない。しかし、そのためには、一定レベルの教育が連邦性文化圏で均一に行われている必要がある。日本が東アジア共同体構想を進めていくためには、この部分で如何に協力していくかがポイントになりそうだ。まずは、国内からだが・・・。