科学②

「みんなの意見」は案外正しい』の著者であるジェームス・スロウィッキー氏の科学のとらえ方を紹介する。同書の第8章に科学についてのその見方が述べられている。
昨日の続きです。

 一人だけ信じているが、それ以外の科学者は誰も信じていない科学的真実など存在しない。あるアイディアが真実だと認められるためには、圧倒的多数の科学者がそれを疑いなく受け容れなければならない。これが「科学的貢献」と私たちが呼ぶ行為の内実である。たとえ一時的であっても、新たに提供された知識を科学者全員が共有している知識の泉に受け容れるということなのだ。(ロバート・K・マートン)

 新しい知識を科学者全員が共有している泉に受け容れられるプロセスの根底には、科学者たちの集合的な知恵への暗黙の信頼がある。
 科学者の研究がほかの人の情報に依存しているという事実は、二つの重要な論理的帰結につながる。
 第一に、科学が発展するためには、科学者同士が競争しながらもある程度信頼し合うことが必要である。
 第二に、科学はつねに新しい知識が流入する共有の知識の泉に依存していると同時に、信頼できる仮説とそうでない仮説を選り分ける科学のコミュニティの集合的な知恵に対する暗黙の信頼にも依存している。

 この部分が、この章でのまとめの部分。一人だけが主張し、他の多数の科学者が否定している科学的事実は存在しない。マイナスイオンにしても、水の波動原理にしても、一部の科学者(ここが重要、一般市民が主張するのではない)が主張しているに過ぎないものは、科学の世界で科学的事実とは言わない。そのことを一般の我々も、前提として理解していなければならないと思う。テレビや週刊誌などに紹介される一部の科学者が主張する説は、あくまでも仮設であることを十分認識する必要がある。残念ながら、この部分を理解していない人が圧倒的多数に日本ではなっているような気がする。
 科学の世界では、上に書かれているように二つの重要なルールがある。そして、そのルールが守られた科学のコミュニティで科学的事実は決められる。つまり、一般人が判断できる内容ではないのである。この部分を市民団体を運営している方々は十分に理解してもらいたいと思っている。環境ホルモン問題もしかりである。我々の思いこみと科学的事実は、必ずしも一致しない。

 残念ながら、今述べた科学のコミュニティが真実を発見するプロセスは美化されたバージョンであり、実際には根本的な欠陥を抱えている。それは、ほとんどの科学的研究が誰にも気づかれないということだ。
 このことは、ブランド力がない人が言ったために、重要な研究が無視されてしまう危険性があるということである。
 過去に優れた業績があったからといって、現在の研究が優れていると判断されるようなことがあってはいけない。
 科学の世界では、主張している人が誰であるかに関係なく、ほかのどんな理論よりもデータをうまく説明できるというそのアイディアに内在する価値ゆえに業績として認められる。
 これは幻想に過ぎないかもしれないが、とても大切な幻想だ。

 最後に、この章で述べられていることが理想社会の話であり、現実はそうなっていないことが述べられている。しかし、この理想の社会の実現が、今の我々にとって、必要なことに思えてならない。