科学②

「みんなの意見」は案外正しい』の著者であるジェームス・スロウィッキー氏の科学のとらえ方を紹介する。同書の第8章に科学についてのその見方が述べられている。
昨日の続きです。

 研究者は先行研究だけでなく、自分と同時期に行われている研究のうえにも業績をつくりだしている。
 科学者たちは特定の問題を解決したい、世に認められ、耳目を集めるような存在になりたい、ほかの研究者たちの考え方を変えたいと願っている。
 科学の世界が秀逸なのは、利己的な行為が結果としてみんなのためになる仕組みを持っている点だ。
 今日の科学界の仕組みのすばらしさは、誰もリーダーがいない点にある。
 優秀な科学者は自分の好きなテーマを選んで、好きな方法で研究し、好きなように研究成果を使ってきた。
 自己利益を追求する自由を個人に与えることで、研究内容を指図するより集合的によい結果がもたらされると信じられている。
 自己利益の追求は、科学者にとって簡単なことではない。実際に自分の研究を認めてくれて関心を持ってくれるのは、自分がまさに競争している相手なのである。
 科学は競争が激しいと同時に、協力も密接に行われるという不思議な矛盾をはらんでいる。
 競争自体はある程度の協力なしにはありえない。同業者の研究から隔絶されて大成功を収める研究者などまずいない。

 研究者の行動は、利己的だと言っている。この利己的な自己利益追求が集合的によい結果をもたらすとしている。また、科学の世界では協力と競争が両立している。その理由は、以下の通り、科学が発展してきた歴史の中にある。

 協力と競争の奇妙なブレンドが生まれる土壌は、情報への自由なアクセスを求める科学研究のエートスにある。このエートスは17世紀の科学革命にまで遡れる。
 あらゆる新しい発見はできるだけ広く、自由に行き渡らせるという考えに、トランスアクションズ誌が強烈なコミットメントを示してきた。
 トランスアクションズ誌の編集者でもあったヘンリー・オルデンバーグは、科学の発展に秘密主義は有害だという考え方を先駆的に広め、新しい理論の創造者、発見者という名声の代わりに、自ら考え出した理論の所有権を放棄するよう科学者たちを説得した。
 知識はほかの資源と違って、消費されて枯渇してしまうような類のものではなく、知識は広まれば広まるほど、その価値が増す可能性は高くなる。
 科学革命が起きた時代は、「オープンな科学」という概念が出現し、自然界に関する知識の所有権がなくなり、科学的進歩や発見が公然の知識となった時代でもある。
 科学者個人の自己利益に基づいた行動が集合的なメリットに結びつくようになったのは、このオープンな枠組みのおかげだ。

 科学界が今日直面する課題は、科学的研究の商業科が進む中でこれまでのような成功が維持できるか、ということである。情報を広範に行き渡らせたくない私企業が科学的研究に資金を提供する比率が高まるにつれ、科学的な情報交換の本質も変わってしまう懸念はある。
 
 科学的名声は、本当に新しくて興味深い発見に対する正当な報酬だ。
 集合的に問題を解決するという視点から科学を見ると、科学のコミュニティが全体としてある仮説や理論が正しいか、独自性が高いかを決めている点がおもしろい。

 この部分は、議論が分かれるところかも知れない。今日の日本のように、産官学を推奨し、研究者自体に資金調達させる方法とまるっきり反対の意見だからだ。ただし、個人的には、資金を明確にする科学のコミュニティ組織が存在するのであれば、ここで書かれているような科学システムの方が良いと思っている。
 残念ながら、企業はそれほどオープンな組織ではない。したがって、科学という立場に立って考えると、決して産官学が効率かつ生産性の高い研究になるとはとうてい思えない。