ゼロリスクを求める社会的な風潮

 それと、これは社会の責任というよりも我々ももっと努力すべき問題だと思いますが、ゼロリスクを求める社会的な風潮があまりに強いことです。私たち人間はいろいろなリスクに曝されながら生きていくものだという発想が欠けてきて、極端な清潔志向、汚染物質排除のような志向がどんどん強まっているように見えます。
 でも、リスクというのは結局比較の問題なのです。食品の添加物から受けているリスクよりもタバコの煙から受けているリスクのほうがはるかに大きいし、農薬や殺虫剤、あるいはプラスチック製品を目の敵にして、微生物がいっぱいいるかもしれない天然素材は安心だと本当にいえるのでしょうか。
 過剰なゼロリスク信仰を修正するためにも、そういうことをちゃんと考える機会をこちらから社会にもっと提案していかなければならないと思います。

 ここで、「社会的な」という言葉を着けたのは、ゼロリスクを主張する市民団体が複数存在すること、また、そのことが間違った認識を市民の間に広めていることへの懸念を述べている。ゼロリスクは存在しないことをはっきり言っている。
 これは、環境省が配布した「チビコト」に対する市民団体の反応を見ると明らかだと思う。