ゴットフリート・ヴィルヘルム・フォン・ライプニッツ(2)

 E.オマール著「不思議な数eの物語」より引用。


 ライプニッツは1675年頃初めて彼の微分法と積分法を思いつき、1677年までには十分発展した、実用的な体系を有していた。彼のやり方はニュートンとはその出発点から異なっていた。すでに見たように、ニュートンの考えは物理学に根ざしていた:彼は、流率を、曲線y=f(x)を描いて連続運動する動点の変化率、すなわち速度とみなした。物理学というより哲学に近いところにいたライプニッツは、もっと抽象的に自分の考えを形作っていた。彼は微分(変数xyの値の小さな増分)を用いて考えを進めていた。
 図27は関数y=f(x)のグラフとその上の点P(x,y)を示す。Pにおいてグラフに接線を引き、接線上に隣接点Tを考える。すると三角形PRTができる。これをライプニッツは特性三角形と呼んだ;辺PRRTPからTへ動くときのx座標とy座標の増分である。ライプニッツはこれらの増分を、それぞれ、dxdyと記した。dxdyが十分小さければ、Pにおけるグラフの接線はPの近くでグラフそのものとほとんど同じになるであろうと彼は論じた;もっと正確には、線分PTは曲線分PQとほとんど一致する(ここで、Qは、Tの真上か真下にあるグラフ上の点)と。Pにおける接線の傾きを求めるには、特性三角形のたてよこ比を求めればよい。dxdyは小さな量(無限に小さいと考えたこともある)だから、その比はPにおける接線の傾きを表すだけでなく、Pにおけるグラフそのものの傾きも表すとライプニッツは論じた。したがって、比dy/dxは、ニュートンの曲線の流率すなわち変化率に対応するライプニッツのものであった。
 ライプニッツのこの論法には根本的な欠点がある。接線はPの近くで曲線とほとんど同じになるが、一致しない。両者が一致するのは、点PTが一致するとき、すなわち特性三角形が1点に縮むとき、だけである。しかし、その時には辺dxdyは両方とも0になり、その比は不定形0/0となる。今日では傾きを極限によって定義することにより、この難点をうまく切り抜けている。再び図27を参照して、グラフ上に隣接する2点PQを選び、疑似三角形[ted:PRQ](実際には曲線図形)の辺PRRQを、それぞれ、\Delta{x}\Delta{Y}と書く(\Delta{x}dxに等しく、\Delta{Y}dyとわずかに異なることに注意せよ;図27において[ted:Q]がTの上にあるから\Delta{Y}dyより大きい)。ところで、PQの間のグラフのたてよこ比は\Delta{Y}/\Delta{x}である。\Delta{x}\Delta{Y}の両者を0に近づけると、この比はある極限値に近づくであろう。今日dy/dxと書くのがこの極限である。記号的には{dy/dx}=lim_{x\rightar{\infty}}\frac{\Delta{Y}}{\Delta{x}}

 ライプニッツの考えの方が、ニュートンの考え方よりも我々になじみ深いものになっている。これは、おそらく高校の頃教わった方法がライプニッツの考え方に近かったからだと思う。不定形になってしまうという欠点がライプニッツの考え方にはあったが、今では極限を使用することで解決されている。ライプニッツの時代では、まだ極限の考え方は確立されていなかったらしい。極限の概念が確立したのは19世紀になってからだという。