行間を読む

作家の伊集院静さんが、以前テレビかラジオで「作家とは」という質問に対して、「毎日書き続けられること」と答えていた。実際、ブログを始めて見て毎日書くということの難しさを実感として味わった。

素人である我々は、何を書くかを考えてしまう。もう、その入口が間違っているのではないだろうか。

最近、ソーシャルネットワークの普及で、日本でも日常的にコメントを書く人が増えている。感じたままを文章にする。それが最初の入口だろう。

ただ、されに深く考えるためには、立ち止まって、感じた内容の行間を詠む作業が必要だと思う。ほんとにそれでいいの、もっと違った見方があるのではとか。

コピーライターの人たちの発想法を読んでいると、生み出すとか創り出すという発想ではなく、自然にわき上がってくるという人が結構いる。

そういう境地に入るためには、常日頃から、この行間を読むという作業をマメに行っていないとダメなような気がする。

行間を読む、思っていることを言葉にする、この二つの作業は相反するようでその間に相乗効果が生まれれば一体になるのかもしれない。

そんな日が来るのはいつの日か?

アイディアの本質

アイディアというものは、あくまでも人を動かす原動力です。人を動かさないものはアイディアではありません。

その本質を踏み外さずに、またビジネス上のものであることを忘れずに、生活者やマーケット、世の中にインパクトを与えて、驚きや納得、共感を得る。

その結果、ムーブメントをつくれるのが本当のアイディアだろうとぼくは思います。

山本幸司氏(「一つ上のアイディア」から)

 アイディアとは何なのだろう?と考えたときに、それを的確に表現できる人はあまり多くはないだろう。実は、その中の一人がぼくだ。業界紙の広告や、カタログ、展示会での展示内容などを考えなければならないときに、いつもこの問題にぶつかる。扱っている商品は、毎年新しいモノが発表されるということはまずない。従って、同じ商品に対して見方を変えた表現を考えていく必要がある。一度だけなら何とかなる。しかし、毎年とか、毎月となるとネタに詰まってしまう。

 そんなとき、ふとアイディアとは何だろう?と考えてしまう。ほんとうは、使えるアイディアを考えなけらばならないのに…。

 「一つ上のアイディア」(インプレスジャパン)は、そんなときに参考となる本だ。アイディアを考えるうえでのヒントがいくつも紹介されている。

 この山本氏のことばは、アイディアの本質を突いていると思う。ここでいっているアイディアとは、広告だけでなく、仕事そのものだと思う。

 

ひとつ上のアイディア。[新装版]

ひとつ上のアイディア。[新装版]

尊敬と嫉妬

ぼくはクリエイティブディレクターの基本姿勢は、尊敬と嫉妬だと思っている。それぞれが50%ずつある状態。そうでなければ、いいクリエイティブ表現は生まれないとさえ思う。

「一つ上のアイディア。」(大島征夫)

 人は、何らかの刺激を何かから受けなければ生きていけないのかもしれない。そして、そこに創造力が生まれる。生まれるまでにはかなりの時間が必要だが。何かは、人でもモノでもいい。何かに対して、嫉妬したいほどの魅力を感じたときにアイディアが生まれるのかもしれない。

 この言葉は、アイディアを紡ぎ出すために何が必要かという話しの中で出てきたもっとも基本となる姿勢だ。とうぜん、そこには尊敬も同居する。敬意を示さないところに前向きのアイディアは生まれない。

感銘を受けた本を読んで思うこととは

 自分の生き方や考え方に大きく影響を及ぼしてくれる本に出会う機会は、そんなにあるものではないと思う。自分の場合、一年に一冊出会えれるかどうかだ。だからこそ、そういう本に巡り会えると深い感動を覚える。そして、最近、そういう本にまた出会った。それが、リンダ・グラットン氏の本「ワークシフト」だ。五つの要因( テクノロジーの変化、グローバル化の進展、人口構成の変化と長寿化、社会の変化、エネルギー・環境問題の深刻化)をもとに、どういう社会が訪れ、我々の仕事の仕方がどう変わっていくかを予測し、それに対してどう立ち向かうべきかを考えさせてくれる本だ。
 内容に関して触れると長文になるので省略するとして、この手の本には、いくつかの特徴がある。今回はそれについて述べてみたい。
 一つ目は、いままで自分が感銘を受けた本どうしには、どこかつながりがあるということ。
 たとえば、今までに感銘を受けた本をいくつか列記すると、ジェームス・スロウィッキー著「みんなの意見は案外正しい」、クリス・アンダーソン著「フリー」、「メイカーズ」、レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース共著「シェア」、ジェフ・ジャービス著「パブリック」などがある。
 これらの本が予想している未来と「ワークシフト」の予測している未来には、かなりの共通点がある。もちろん、本を選んでいるのは自分であるから、自らの好みによって選んでいるという共通点はある。しかし、おもしろいのは、アマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の項目にこれらの本が現れるのである。アマゾンが自分の好みをピンポイントで探し当てているとは考えずらい(ある程度は合っているかもしれないが、本以外の商品も見る限りかなり外れている。また、全ての本をアマゾンで買ったわけではない。)。
 逆に、この手の本を選ぶ側に、ある共通点があるように思えてならない。個々に列記した本は、みなベストセラー本だ。従って、誰もが興味をそそられたということかもしれない。しかし、そこには万人を引きつけるだけの共通性があるのではないだろうか。
 その共通性とは、群衆による選択が大きな力を持ち始めているということだ。カリスマ性の高い数少ない人間が社会を形成していく時代は終わり、数限りなく存在する世界中の天才たちの知恵が集結して世の中を動かし出す。しかも、この変化の速度が、指数的に増加していく。そういった考え方がこれらの本には垣間見られる。そして、誰もがそうなるだろうなと考えはじめているのではないだろうか。
 二つ目は、参考文献をチェックすると次に読むべき本が見つかるということ。
 欧米などの海外で書かれた本の場合、参考文献の記述がしっかりしている。一冊の本を書くために、作者が尋常でない数の本を読み、研究していることがうかがえる。こうした参考文献は、作者が結論を導いた道のりを探ることを可能にしてくれる。「考え方の根本に何があるのか」を調べることが可能になるのだ。そうした参考文献では、作者が述べたいこととはまた別のテーマを持っていることが多々ある。
 読者が、参考文献が持つテーマに新たに興味を抱けば、また違った方向に思考を巡らすことが可能になる。
 例えば、今回の「ワークシフト」では、未来テクノロジー予測の文献として、レイ・カーツワイル著「ポスト・ヒューマン」が載っている。この参考文献には、テクノロジーの指数的発展とその先に訪れるだろう特異点の話が載っているらしい。こうなると、「テクノロジーの進展はどういう世界を実現していくのか」という、別の興味が次第にわいてきてその本を読んでみたくなるのだ。
 よい本の場合、こうした違ったテーマへの誘導路がいくつも存在する。そして、それら参考文献を読むことで、知識の巾が広がっていく。
 ただ、リンダ・グラットンも言っているように、ただ、幅広く浅い知識を取得するだけでは意味をなさない。それらを元に自分なりの考え方をまとめていく作業が必要になる。
 しかし、そうした思考を続ける場合においても、効率的に必要な知識を手に入れることを可能にしてくれるのが、こうした文献だと思う。少なくとも、一から探すよりはかなり効率的に欲しい情報を得られる。
 作者が訴えたいことに共感できるから感銘を受けるのであるが、付録として、感銘を受ける本には、こうした道しるべがいくつも存在するから、なおさらおもしろいのかもしれない。
ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)

ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)

欲しいのは、何でも出来るスマートフォンじゃない

 携帯電話をスマートフォンに変えてから、早1年半ほどになる。購入したのは、AndroidXperia 。以前、仕事の関係で、マックを使用していた頃があり、そのときにたびたび暴走するマックに痛い目に遭った経験があった。そのため、スマートフォンとして最初に登場してきたiPhoneには手を出さず、Xperiaが発売されるのを待って購入したのだ。正直いって、アップル自体が嫌いになっていた。

 スマートフォンを購入してまず感じたのは、バッテリーの持ちの悪さ。当初のXperiaは、へたすると半日も持たない状況だった。その後、ソフト面の改良があり、1日以上は持つようになったものの、それでも2日が限度で、充電は毎日やらないといけない状況だ。

 また、入力するときに、各パーツが小さすぎて、指の太い我々では、入力に手間取ることがしばしばある。例えば、メールを打つときに、いらない文字まで入ってしまったりする。表示文字が小さいのも使いづらい。これは、画面が小さいことに起因しているのだが、設定で文字を大きくしてしまうと逆に見づらくなってしまう。

 スマートフォンに何を求めていたのかと言えば、電話とメールが出来、手帳代わりのスケジュール管理と住所録管理。そして、地図や時刻表などが検索できればなお良い。正直言ってそれ以上はあまり必要ないと思っている。カラーである必要もないのである。

 もし、スマートフォンがモノクロの液晶画面であったなら、たぶんバッテリーは、10倍以上持つのではないだろうか。また、軽量化すればもっと薄くて、画面の大きな手帳クラスほどのものが出来るのではないだろうか。

 何でもかんでも一つの機械に詰め込むというのは、いかがなものかと思う。売る方にしてみれば、購買層を増やせれば、増やせるほどよいのだろうが、ものとしての利便性を追求する姿勢というものがもっとあってもよいと思う。

 最近、タブレットPCが普及し始めた。おそらく、スマートフォンが目指していた世界は、すべてタブレットPCへと移行していくことになると思う。そうなったとき、スマートフォンはどこを目指すのかというと、やはり、デジタルシステム手帳だと思うのだが、どうだろうか。

オリンパス含み損、最大1千数百億円 2000年に飛ばしか

今朝、日経の記事。記事によると、

複数の関係者によると、同社は90年代に財テクに失敗、保有していた金融商品の含み損は最大で1千数百億円に上ったという。こうした含み損について公表せず、処理も先送りし続けていた。

この問題、海外でもかなり波紋を呼んでいるようだ。株の投資家がグローバル化している証拠なのだろうか。株価は、2400円前後だったものが、昨日の終値は734円まで、下落。今日もまた大きく下げると予想される。株式上場が維持できるかがポイントになってくる。

今年、1年落ちのミラーレスカメラPENを購入した。以前からオリンパスのカメラに興味があり、去年からいずれ購入しようと考えていた。使用した感触は、想像していたとおりで、少し安っぽい感はあるが、その性能は、ほぼ満足できるものだった。ほとんどのカメラがデジタル化した現在、デジタルカメラならではの性能がカメラに盛り込まれてきている。アナログカメラでは、プロでなければ取れなかったシーンをデジタルカメラでは簡単に実現できる。そういった特徴をよく表しているのがオリンパスのPENだ。

高い技術を持っているのに、会社組織が整っていないというのは、非常に残念なことだ。一ファンとして、オリンパスには、是非、技術に見合う会社組織を築き直して欲しい。その課程で上場廃止になっても仕方がないだろう。

酒造メーカーのわさび漬け

 先月、澤ノ井というお酒を製造している小澤酒造で買い求めたわさび漬けを食べて、そのうまさに驚いた。考えてみると当たり前と言えば当たり前で、わさびを酒粕に漬けて作るわさび漬けは、酒粕がうまくなければうまくならないはずだ。

 小澤酒造のわさび漬けは、わさび漬け特有のつんとする辛さを酒粕がうまい具合に中和してくれる。また、酒粕の舌触りがなめらかだ。表現はオーバーだか、アイスクリームの舌触りに似ている。また、変なにおいもない。かまぼこにのせて食べたのだが、スーパーなどで買ってくるわさび漬けは、醤油を少し垂らしてにおいをごまかして食べる。ところが、酒粕が新鮮で臭みがないと醤油を垂らしてしまうと、逆にわさび漬けの風味を消してしまう。

 先週、また、小澤酒造に行って、わさび漬けを購入してきた。ふと店先のよこを見ると酒粕が山のように積まれて売られていた。一瞬どうしようか迷ったが、販売されている酒粕の量は、一人暮らしには多すぎて使え切れそうもなかったので、購入するのはあきらめた。新酒の時期でもあり、あの酒粕はさぞかし、おいしいのだろうな。